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追分の一本松・「元佐倉街道」中「行徳道(八幡経由)」についての覚え書き

 投稿者:断腸亭  投稿日:2014年 5月13日(火)00時39分40秒 118-86-150-146.kakt.j-cnet.jp
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  追分の一本松・「元佐倉街道」中「行徳道(八幡経由)」についての覚え書き


https://scontent-b.xx.fbcdn.net/hphotos-prn2/t1.0-9/10298875_529144087195017_4024898110457166656_n.jpg


先日、行徳(千葉県市川市)からの「元佐倉街道」(=元禄期半ば頃までの佐倉成田街道)の一つの経路(八幡宿経由)を辿りつつ自転車を走らせていたら、昔の一里塚の名残のような場所に出会った。

近寄ってみると、複数の石像が建っていた。
ここは、同時にバス停にもなっていて、停留所名は「一本松」。
なんと風情のある名称であろうかと感心しつつ、自転車を停めて、バス停背後の小塚に上がってみる。

すると、大松の切り株が立っていた。
昭和40年代に、枯死したので伐採されたという(時に、樹齢180年)。
代わりに切り株の傍らに幼松が植えられていた。

かつては、一里塚ではなくて、追分であったらしい(市川市大和田)。
その証拠に「青面金剛像合掌型の庚申塔(道標)」が見つかった。
佐倉成田道(というか、関東)では、青面金剛像の道標が多い(市川駅付近の国道14号沿いにもある)。

その正徳3年(1713)に造立された道標には、こうあった。

『これより右 やわたみち』
『これより左 市川國分寺みち』


「これより右 やわたみち」は、私の探していた道そのものなので、嬉しかった。
当時の佐倉成田街道は、今のそれとはまったく違って、現在の小松川橋付近から現・今井街道(当時は、これも行徳街道と呼ばれていた)を通って、今井の渡しを渡り、現・行徳街道旧道から八幡を経由して千葉街道(現・国道14号)を通っていたからである(行徳からはもう一つルートがあって、それは、行徳橋北詰から県道179号を北東に辿って、最短距離で船橋に出る経路である)。

元佐倉街道中・行徳道(小松川橋~八幡~船橋)の経路
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=0992201cd118c284e009f95b210a0b9f

それはそれで、嬉しい発見だったのだが、「市川國分寺みち」という、知らない道が現れてしまった。
国分寺というのは、もちろん、下総国分寺のことであるが、いったいどんなルートを辿っていたか、これは、今後の宿題である。

古道の探求は、いつになっても終わりそうにない・・・。

http://danchotei.blog75.fc2.com

 
 
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